当社の祭礼行事を中心に、日々の出来事などをブログ風にお伝えいたします。
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6月30日(日)午後6時、令和元年最初の大祓式を執行して平成31年1月~4月末日令和元年5月~今日までの半年間の内に知らず知らずの内に犯した罪穢れを祓い清めました。残る令和元年の半年間、清々しく心身を立ち返らせて招福除災にお過し頂きますよう祈念致しました。
水無月の夏越の祓いする人は千歳の命のぶといふなり 拾遺和歌集 詠み人知らず
おもふこと水無月ねとて麻の葉を切りにきりても祓へつるかな 後拾遺和歌集 和泉式部
宮司や氏子の日程調整が中々整わず、のびのびになっておりました夜啼き荒神祭を6月29日(土)に漸く斎行出来ました。荒神様には誠に申し訳なくお詫びの気持ちも籠めながら鄭重にお仕え致しました。心配していた天候も雨のやみ間となりご神前での奉仕が叶いました。(悪天候の場合は社務所床の間に祭壇を舗設し斎行)
現在は実質氏子3戸(内1戸は木山代宮家)です。直会は社務所で昼食を兼ねて和やかに歓談致しました。そして協議の上、来年から祭礼日を5月の第3日曜日と定める事と致しました。
6月28日(金)ホテルセントパレス倉吉に於いて定例協議員会が開催され出席致しました。斯界の数ある会議の中でも本年度の神社庁運営の道筋を協議する最も重要な会議です。開会儀礼に続いて正副議長を選出。前年度の一般事務概要奉告の後、上程された8項目の議案について念入りに協議、承認されました。
会議終了後はホテル内の会場を移して夕食を兼ねた懇親会が開催されて和やかに歓談致しました。
6月24日(月)河上地区の愛宕祭を斎行致しました。公民館で祭祀を執行する事になってから16年目になりました。神前幕も社殿の寸法で作成して有りますので床の間に飾るには大きいです。祭典後は神饌としてお供えしたお神酒、蒲鉾、お惣菜、トマト、胡瓜、バナナなどを切り分けてお直会に頂きました。また祭礼執行の証しとして愛宕神社御玉串(切り札)をお頒ち致しました。
6月23日(日)午後1時、彰徳殿の例祭を斎行致しました。昨年同様に参列者は1名、責任役員でもある遺族の方がご参列下さいました。戊辰戦争から大東亜戦争までの英霊74柱を中心に歴代の神官 神職 断絶した社家の御霊や氏子崇敬者の御霊などを鄭重にお祀りしています。
6月21日(金)明後日の彰徳殿例祭を前に殿内の清掃を行いました。当初は明日が掃除の日程でしたが急な用件が入り本日の作業となった次第です。若い頃は23日の当日早朝に掃除をしても十分に間に合いましたが、自信が無くなり近年は事前の準備を心掛けています。
午前9時から取り掛かって午前10時30分頃には清掃を済ませ社務所で彰徳殿内に飾る御幣を奉製致しました。幣串にさす御幣が8体、榊に飾る御幣が6体、再度昇殿して取替えました。
6月15日(土)鬼神神社において還暦祈願祭を執行致しました。鬼神神社の総代会長を代表に13名の申込みでした。私が鳥上小学校4年生の時の6年生の方々で木造校舎を卒業されています。強い雨が降るかもしれないとの予報でしたが幸いに小降りとなり事前の掃除や準備も順調に出来ました。母校の先輩方のご多幸とご健勝を心よりご祈念申し上げました。
令和改元、ゴールデンウイークから1ケ月以上になりますが、毎日の個々人の参拝のほか団体の自由参拝なども時々ございます。今日(11日)も1団体20名程がおいでになりました。団体ですと慌ただしくお参りして、御守やご朱印を受けるとすぐに次の目的地に向かわれます。今日の参拝をご縁にして今度は個人でゆっくりとお参り下さいませ。
6月に入り神社界の年度末(6月30日)が迫り会議の日程が連続しています。4日(火)は神社庁で神政連の会議、翌5日(水)は日野支部の役員会が有りました。そして6日(木)7日(金)は伊勢で神宮参与同評議員会と伊勢神宮崇敬会代議員会の為、伊勢市に出張です。
6月6日(木)伊勢市に出張、神宮会館で開催の午後6から開会の夕食会を兼ねた懇親会に出席致しました。全国から参与、評議員など500名程が参集しての盛大な懇親会は神宮大宮司様、神社本庁統理様など斯界の重鎮が同席され和やかに夕食を共に致します。鳥取県は福島県の神職の方々と相席となり東日本大震災後の復興の現状などお話を伺いました。
翌7日(金)は午前8時に外宮前に参集して本庁統理様、同総長、副総長を先頭にしての御垣内参拝です。
外宮の御垣内参拝を済ませた後、内宮に移動して内宮の御垣内参拝と神樂殿で奉納の太々神樂に参列しました。生憎の天候でしたが雨に浄められたご正宮の千木の金具が美しく輝いていました。
両宮参拝の後、午前11時に神宮会館で神宮参与同評議員会と神宮崇敬会代議員会が開催されました。国歌斉唱など開会儀礼と神宮大宮司様、神社本庁統理様、伊勢市長(代理)のご挨拶、功績者表彰など日程が進み議長選出の後、議事に入り担当者により神宮の現状や神宮崇敬会の会務報告がなされ閉会となり、宇治山田駅午後1時47分発の近鉄特急に飛び乗って帰路に就きました。
6月1日(土)宮人夫さんに境内の草刈り作業に取り掛かって頂きました。この時期は草の成長が早く、お盆前に再び作業の予定を組んでいます。
令和元年6月1日(土)午前7時、月次祭を斎行致しました。践祚改元の5月1日は本社の春季大祭(例祭)でしたので新元号となって初めての月次祭です。本日は「月次祭祝詞」に辞別きて神社本庁より通達された「御大礼の年にあたり辞別祝詞」を奏上して悠紀・主基の両地方はもとより全国各地から供納される斎米や献物が豊かに稔り、御大礼の全ての御儀が厳粛かつ盛大に執り行われますよう祈念致しました。
当社は本日より夏装束に改まり9月30日まで着用します。立夏から立冬まで夏装束とする神社もあります。写真は午前8時頃の境内です。木々も緑を更に増して来ました。
5月17日(金)出雲大社に参拝致しました。昨年は諸般の事情で叶いませんでしたので2年ぶりです。いつもながら本殿の威容には圧倒されます。続いて出雲教の神殿、大社教の神楽殿を巡拝させて頂きました。
5月13日付の神社新報の記事にも有りましたが平成の大遷宮第二期事業の新庁舎の竣工を以て全ての事業が完遂との事、基本構造は鉄骨造による制震構造ながら外装は木材を多用した伝統的木造の素晴らしい建造物でした。誠にお目出度く存じ上げます。
拝殿前のつつじが花を付けています。漢字では「躑躅」と記し、やや難しい字体です。「てきちょく」とも読めて「行っては止まる」見る人の足を引き留める程の美しさからこの漢字が使われたと言われています。
先日の春季大祭の直会の席で手水舎の竹製の水口が古びていて良くないとの意見が有り、早速4日の夕方には総代さんの1人が作り替えて下さいました。その総代さんは幣殿の畳の新調をして下さった方で、重ねての奉祝事業を実践して下さいました。今後も大小様々な事業に取り組んで神社や境内の尊厳護持が叶いますよう精進してまいります。
5月5日(日)印賀の樂樂福神社春季大祭を斎行致しました。五月晴れの中、総代会長ほか役員総代14名が参列して厳かに執行出来ました。3月18日から5月5日まで宮司奉仕(代行含む)13社、助勤奉仕5社に及ぶ春季大祭も本日を以て全て恙なくお仕えすることが叶いました。
明けて令和の御代となった5月1日(水)午前4時に昇殿をして本社・若宮神社・木野山神社・彰徳殿の神饌の準備や社殿の装飾、最終的な点検や掃除など諸準備を午前9時には終えました。
数日前には雨の予報でしたので心配しましたが結局、終日曇りの予報となり安堵致しました。定刻、午後1時、拝殿に総代会長以下役員総代が参列する中、宮司以下祭員 舞姫が参進、献幣使が参向して。令和元年の春季大祭(例祭)を執行、併せて践祚改元奉告祭を斎行致しました。
新帝陛下の御即位を奉祝して浦安の舞が奉納されました。2名の舞姫は石見神社の氏子の子女ですが同社宮司の計らいにより大祭典に華を添えて頂きました。
続いて石見神社宮司による朝日舞が厳かに奉納されました。
明治天皇御製
「さしのぼる 朝日のごとく さはやかに もたま欲しきは 心なりけり」
「目に見えぬ 神に向かひて はぢざるは 人の心の まことなりけり」
践祚改元の奉祝事業として敬神家の総代お1人が幣殿の畳(12畳)を全て新しく敷き替えて下さいました。
4月29日(月)日供祭に併せ「昭和の日」武蔵野御陵を遥拝して昭和天皇のご聖徳をお偲び致しました。平成の御代も残すところ29・30日の2日となりました。
昭和天皇御製「あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」
今日は午前9時から矢戸地区の氏子に出夫して頂き宮掃除と祭礼幟立てなどの作業をして頂きました。およそ2時間程の作業で境内は掃き清められ幟が立ち並びお祭りの雰囲気が高まって参りました。
作業が終了しますとお茶を召し上がって頂き皆さんがお帰りになる頃、私は急いで着替えをして福成神社春季大祭の助勤に参向致しました。予報通り午後からは小雨の天候となり子供神輿の神幸式は有りませんでした。
大祭典終了後は安産祈願祭1座を執行致しました。
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好天に恵まれ2年ぶりに神幸式が執行出来ました。
兼務社の大祭は全て小衣冠(こいかん)、繁紋冠に赤輪無唐草紋小直衣と単を着用して奉仕しています。
4月18日(木)、天皇皇后両陛下には伊勢市に行幸啓なされ神宮の両宮において「神宮に親謁の儀」に臨まれ御譲位をご奉告なさったと漏れ伝わって参りました。その事を受けて19日(金)午前7時、神社本庁通達の天皇陛下御譲位御安泰祈願祭を斎行致しました。
当社では天皇陛下御即位30年、両陛下の御結婚60年などの奉祝関連の事業として平成29年より本殿周囲の透塀屋根の塗装営繕、境内整備を含む樹木の枝打ちなどを年次進めて参りました。来る5月1日の践祚と改元の奉祝事業としては手始めに幣殿の畳を新調して頂きます。今後は年次、新帝陛下御即位に関連する奉祝事業を進めて参りたいと考えています。
天皇陛下御即位30年、両陛下御結婚満60年、来る令和の新帝陛下御即位を奉祝して宮司と禰宜による朝日舞の奉納
4月11日(木)江府町の吉原三社(吉原神社・西成神社・袋原神社)の春季大祭を代行奉仕の為、致しました。昨日来の雨もようやく止みましたが大山の麓は冷たい風が吹きおろす寒い1日でした。
4月7日(第1日曜日)菅澤神社に合祀されている荒神様のお祭りを斎行する為、参向致しました。秋原地区7戸で100本以上の御幣を奉製して神饌と共に本殿外陣ににお供え致します。
この荒神祭の玉串は古例により樅ノ木の小枝に紙垂を付けて奉ります。お供えした御幣の内、25本は氏子7戸で持ち帰り、田畑や小川などの要所に刺し供え、残りの80本程は本社の春季大祭(4月28日)まで本殿内に納めて置きます。
北からの寒気の影響で薄っすらと雪が積もりました。新元号「令和」の出典の万葉集巻第5 梅花の歌32首の序文の中「梅は鏡前の粉を披き」(梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き)のように参道の白梅の上に更に白い雪がのりました。昨日まではさして気にも留めなかった白梅が特別に感じる身勝手な自分です。
新元号が発表される4月1日(月)午前7時、天皇皇后両陛下御結婚満六十年奉祝祭並びに月次祭を斎行致しました。神社本庁からは4月10日に斎行するようにとの通達でしたが諸般の事情により当社は月次祭に並んで本日の斎行と致しました。
本日の午前11時41分、新元号「令和」が菅 義偉 官房長官によって発表されました。来る5月1日には皇太子殿下が践祚され令和の御代が始まります。当社は5月1日に春季大祭(例祭)を執行致しますがそれに併せて新たな御朱印を頒布する事になりました。(これまでの社紋の御朱印は4月30日まで頒布)
初穂料は300円で変わりは有りません。ご参拝の節にはお声がけ下さい。
「令和」は万葉集の32首、梅の花より「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」を出典として人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる國で有りますように。との意味と願いが込められています。