「ささふくの杜の便り」は令和5年3月31日を以って全ての更新を終了致しました。
3月26日(日)鬼神神社の氏子でもある福頼地区の荒神祭を奉仕しました。祭典名は荒神祭となっていますが神籬にお招きする神様は「荒神・竜神・水神・社日神・金屋子神・山神・福石神・大幡神」8神です。荒神から社日神までは田畑に係わる神々で順調な耕作と秋の豊作を祈り、金屋子神と山神はたたら製鉄に係わる神々、確証は有りませんが福石神は製鉄、大幡神は田畑の神ではないかと想像しています。田畑への悪影響を避ける為、農閑期(秋の彼岸以降)には「かんな流し」と呼ばれる砂鉄採取作業がなされ、農繁期(春の彼岸以降)は田畑の耕作に励む暮らしが奥出雲にはありました。したがってこの時期のお祀りは砂鉄採取作業から農作業に転換するケジメのお祭りであったと考えられます。
3月21日(月)木山代宮家の祖霊祭を執行致しました。近年は参列する妻と2人での祭祀となりました。東京と広島にいる娘達は御霊舎を遥拝して手を合わせている事と思います。
用語解説 代宮家(よこや)とは出雲の国を中心に伯耆の国の一部の地域などで神職の家を指し一般に神職家や神職の事を「よこや」さんと呼称する方があります。
日程によって異なる場合も有りますが午前中に御霊舎で祭祀をお仕えして午後には奥津城(おくつき)に墓参を致します。
用語解説 奥津城(おくつき)とは神職家や神徒の墓地を指します。
3月19日(日)福栄の高代地区の合同祭(荒神・山神・愛宕神・地主神)を斎行致しました。
高代公民館の合同祭を終えると荒神 山神 愛宕神 地主神を祀る各社を巡拝致します。当日は昨日の天候が嘘のような快晴となり暖かい日差しの中、気持ちよく参拝出来ました。
3月18日(土)島根県奥出雲町の大呂神社春季大祭を斎行致しました。昨年同様に大変肌寒い日になりました。大祭典は総代会長ほか7名と出役の氏子5名が参列して厳粛に斎行致しました。
3月14日(火)標記の研修会に参加の為、琴浦町の「まなびタウンとうはく」に参りました。
主題は「憲法問題を考える」と題し神道政治連盟幹事長で山口県の遠石八幡神社宮司 黒神直大先生をお招きして開催し「歴史の岐路に立つ日本」~今こそ憲法改正を~と題した講演を拝聴しました。
我が国を取り巻く隣国、中国は海洋進出を目論み、台湾略取の意欲を隠す事無く近くの尖閣諸島をめぐって先島諸島周辺は戦域となる恐れが高く、ウクライナに侵略し交戦中のロシアは北方領土に軍を駐留させ軍事拠点化を進め、北朝鮮は拉致問題を抱える中、ミサイル開発と発射実験を繰り返すなど予断を許さない状況が続く中にあって我が国の安全保障を確固たるものとするためには憲法改正は急務であると強く感じる講演で有りました。
1時間程の講演会が終了後には講演を踏まえた研究討議が行われました。黒神先生を交え神社庁教化部広報室長が司会を務めて教化部員2名と日本会議鳥取の会長の5名で討議がなされました。
3月1日(水)午前7時、月次祭を執行して聖上皇室の御安泰と国家鎮護、国家国民の繁栄と安寧を祈念申し上げました。先月の月次祭は大変な積雪の為、拝殿への昇殿が叶わず止む無く社務所に祭壇を設え、遥拝をしてお仕えしました。いつになく厳しい冬も少しづつ緩み今日は暖かな1日になりそうな予報が出ています。そろそろ蕗の薹も顔を出す準備をしている事でしょう。
2月24日(金)神社庁神殿祭に参列の為、出張致しました。一般神社の例祭に相当する神社庁の重儀です。庁長が斎主を務め祭員は青年神職3名(内女子神職1名)でお仕えされ副庁長ほか役職員、支部長、協議員県総代会長 同役員のほか被表彰者などが参列致しました。
祭典後には神社庁長表彰者の表彰式が挙行され功績のあった神職5名・総代6名が栄に浴されました。その後、ホテルニューオータニに会場を移して昼食を兼ねた懇親会が開催されましたが私は都合欠席して帰路につきました。
2月23日(木)午前7時、天長祭を斎行して今上陛下63歳の誕生日を奉祝申し上げました。先立っての皇居での記者会見の中で「自国の事のみ考えるのでは無く、ほかの国々とも互いの違いを乗り越えるべく対話を重ね、解決していく事が大切」と語られ、その上で「私達一人一人が平和な世界を実現する為に何が出来るのか問われている。」とのお考えを示されました。私共神職は陛下の御心にに沿うべく心掛け日々の祭祀を怠る事無くお仕えしなければなりません。
天皇陛下 万歳!万歳!万歳!
今日の紀元祭には白米・玄米に添えて大豆・丸餅や松葉蟹、玉子に野菜果物を合わせ盛りにして供し、献菓として和菓子も添えました。松葉蟹は令和3年の歳旦祭にお供えして以来2年ぶりです。今回は安く手に入り(とは申せ1諭吉弱)ましたので久しぶりに召上って頂けました。そのほか大豆は節分祭に余分に購入したものですが相対的に歳旦祭の神饌よりやや豪華な品々となりました。笑
2月13日(月)社務を終え東京に向かって出発しました。途中で夕食をすませJR米子駅からサンライズ出雲に乗り込みました。到着は翌朝の7時、受付時間の正午までには随分と時間が余りましたが東京駅でゆっくりと朝食を取ったりティータイムをして時間を過ごしました。
会場は永田町の参議院議員会館です。来賓として参議院議員の山谷えり子さん 同じく有村はる子さん、衆議院議員の城内 実さんがご挨拶されました。研修の内容についてはデリケートな時局案件なので帰着後、同僚神職や氏子の皆様に機会を得てお話ししたく思います。
研修終了後は東京駅で夕食やお土産などを購入して21時50分発のサンライズ出雲に乗車して帰途につきました。
私自身は俗に言う撮り鉄でも乗り鉄でも有りませんが客室内と車両が入線する写真を数枚撮りました。
2月11日(土)午前8時、紀元祭(併せて橿原神宮遥拝)を斎行して神武建国2683年を寿ぎ国家安寧と聖上皇室の御安泰、世界の恒久平和を祈念申し上げました。「建国記念の日」は神武天皇が橿原の宮にて御即位された日を紀元として明治6年に定められた紀元節がその発祥です。
橿原神宮では神武創業の偉業を偲び大祭がお仕えされ勅使が参向致します。畏くも天皇陛下におかせられては宮中三殿に出御され臨時の御拝礼をなさいます。また恒例の日南町統一建国祭は町内の霞神社にて日南町神社総代協議会の役員のみが参列して斎行されるとの通知を頂きました。
2月9日(木)倉吉市のホテルセントパレスに於いて役員会と新年合同会議が開催されました。合同会議には神社庁理事・支部長・教化部正副部長・総代会理事・神政連役員が出席して向こう1年間の行事予定や3月の国民精神昂揚運動合同研修会や広島市で開催される憲法フォーラム などの動員や参加者の確認などがなされました。また令和4年度の神宮大麻暦頒布実績なども庁の事務方より報告と説明が有りました。閉会後には新年会を兼ねた懇親会も予定されていましたが私は欠席して帰途につきました。
2月3日(金)午前8時、節分祭を斎行して国家国民に襲いかかる邪気や疫病など禍事の退散を祈願致しました。除雪の進捗具合の関係で今月の月次祭はやむなく遥拝式としましたが節分祭は本社でお仕えする事が叶い本当に嬉しゅうございました。
季節の変わり目に生ずる様々な禍事を鬼の仕業と見立てて豆(魔滅)を投げ穀物の霊力を頼んで邪気を祓い福を招く事を願う行事です。
宮中の追儺式(鬼やらい)が民間に伝播したものと考えられます。
2月1日(水)午前7時、社務所内の祭壇より本社を遥拝して月次祭を斎行致しました。先月25日の大寒波襲来後、境内の除雪を進めておりますが30日にややまとまった降雪が有り思うように捗りません。大神様には申し訳なく存じましたが遥拝の月次祭をお仕えさせて頂きました。
今季最強寒波の襲来により25日の早朝には一晩で70㎝を超える積雪となりました。写真は社務所玄関より撮影した今朝の様子です。この積雪では社務所から雪を搔き分けて社殿にたどり着くのは大変困難な状況になりました。
平成7年に私が本社の神職として就任して以来初めての事ですが社務所に祭壇を鋪設し金幣を通して本社を遥拝する日供祭を奉仕致しました。高台に鎮座する本社及び社務所などの境内諸施設は完全に孤立した状況ですので一応の除雪が早急に叶う事を願っています。
旧正月を明日に控えた1月21日(土)午後6時30分より木山代宮家の日待祭の宵祭を執行致しました。日待祭は一血族や同一集落内の人々が一堂に会して物忌みや潔斎をして夜を明かし日の出と共に来臨する神を迎へる祭祀です。我が家では宵祭と翌朝の祭と2回の神事を執行致します。
1月14日(土)とんど祭(古神札焚上祭)を執行致しました。祭典には総代会長ほか総代3名、氏子4名が参列致しました。
本殿の大床に昨年までの神宮大麻・本社をはじめ兼務社や遠近の天津社・国津社の種種のご神札やお守り・破魔矢などの縁起物を納めた箱を鋪設して古神札焚上祭をお仕え致します。箱の両脇の灯明は忌火としてとんど斎場の点火の種火とします。
拝殿での祭典後、総代会長が忌火を、総代が古神札を奉持してとんど斎場に進み、会長が恵方である南南東から着火を致しました。武漢コロナ肺炎感染回避の為、豚汁の振る舞も無くなり炊き上げに立ち会う人は少なめでした。
1月8日(土)9日(月)14日(土)15日(日)には山神様と荒神様を祀る祭祀をお仕え致しました。雪深い当地方ではかなり昔から当屋宅を斎場として神々をお招きしお祭りをしていたようですが現在は公民館を斎場としたり武漢コロナウイルス感染対策の為、当屋の方のみが来社し、当社の社殿を斎場として斎行するようになりました。
本殿の大床に神籬となる金幣を鋪設して神々を招聘致します。当屋はお米やお酒のほか注連縄やご幣用の竹串持参して来社し勤めを果たされます。
元旦の8時に社務所を出発して多里神社と福榮神社の歳旦祭をそれぞれお仕え致しました。
当地では俗に坊主正月と呼ばれる4日(水)には
やや遠方の兼務5社(日南町の菅澤神社・印賀樂樂福神社・熊野神社)(島根県奥出雲町の鬼神神社・大呂神社)を巡拝致しました。どの神社も年末の大雪に対応して初詣の氏子参拝者が困らぬように除雪をして下さり誠にありがとうございました。
令和5年癸卯歳の歳旦祭を午前零時に執行致しました。氏子崇敬者の皆様には目出度く新年をお迎えの事とお慶び申し上げます。
新年を寿ぎ聖上と皇室の御安泰と国家鎮護、国民の安寧と発展を祈念申し上げました。
年末に2度の大寒波に見舞われましたが大晦日の深夜は穏やかな天候となり総代会長ほか3名の総代と当社に所縁のある旧家のご当主とご令嬢、ご令息にご参列頂きました。
1月2日(月)午前7時、令和5年の初日供祭を斎行致しました。
歳旦祭には冠赤輪無紋小直衣に指貫を着用
初日供祭と翌日の元始祭には冠白無紋小直衣と赤短衣に白無紋指貫を着用して神威を畏み奉仕致します。
1月3日(火)午前8時、元始祭を斎行致しました。宮中三殿においては天皇陛下が御自ら「皇位の元始」を祝う御告文をご奏上なさいます。全国の多くの神社ではこの宮中祭祀に倣って本日お仕えして皇統の元始を寿ぎ奉ります。