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6月30日(木)午後6時、夏越大祓式を執行致しました。年明け以来半年間に知らず知らずの内に犯した罪穢れの大祓を修し、残る大晦日までの日々を清々しい心身で過ごせますよう祈念申し上げました。
阿奈清々し、阿奈清々し
6月28日(火)神社庁定例協議員会(於、セントパレス倉吉)に出席致しました。向こう1年間の神社庁の重点事業や諸施策を協議する重要な会議です。本年は2年ぶりに通常会合を感染対策を万全にして開催出来ました。私も神社庁理事として初めて執行部席に着座し少し緊張ぎみに会議に臨みました。
終了後は慰労の懇親会も2年ぶりに開催されパーティションをを置いて和やかに歓談致しました。
6月29日(水)は日野支部総会(於、日野町公民館)に出席致しました。昨日の神社庁協議員会を受けて我が日野支部の向こう一年間の重点目標や諸施策話し合いました。この会議は昨年の支部長退任に伴い久しぶりに1人の支部員として出席致しました。
6月25日(土)午後3時、彰徳殿例祭を斎行致しました。この彰徳殿には戊辰戦争から大東亜戦争までの英霊や公職に有って殉職した者の御霊、歴代の神官神職の御霊、歴代の総代など関連ある御霊を鄭重にお祀りしています。
当日は総代会長以下3名の総代さんにご参列頂きました。昨年までは直接畳にお座り頂いておりましたが検討の上、胡床にお座り頂く事として、修祓や祝詞奏上は座礼でお仕えするやや変則的な祭儀と致しましたが恙なく執行出来ました。
6月24日(金)河上地区の愛宕祭を氏子8名の参列を得て厳粛にお仕え致しました。祭典後は感染症対策をしながら愉快に直会をして頂きました。この愛宕様は現在も小山の小高い場所に鎮座され氏子地区を見守っていらっしゃいますが氏子の高齢化などにより平成15年から公民館の床の間に祭壇を調えてご祭神のご来臨を仰ぎお仕えしています。
6月22日(水)日供祭終了後に彰徳殿の清掃に取り掛かりました。今年は来る25日(土)の午後3時から彰徳殿例祭を執行する事に決まりましたので先駆けての作業です。以前は祭礼日の午前中にする事が多かったのですが近年は前もっての作業にしています。若い頃は手早く掃除を済ませ午後からの祭典も集中力を欠く事無くお仕え出来ていましたが...此の頃は疲れやすくなりましたので別日に清掃を済ませ当日は祭典のみに集中力を高める事をしないと恙なく奉仕する自信が無くなりました。
最近偶然に三備一宮と尊称し大吉備津彦大神を主祭神とする岡山市「吉備津神社」の本殿内の丑寅の位置に艮(うしとら)御崎宮が祀られ祭神は大吉備津彦命によって退治された鬼の首魁温羅(ウラ)であるとの事を知りました。当社本殿外陣の東北の位置には鬼塚大明神が祀られており、吉備津神社と同様に孝霊天皇によって退治された首魁「牛鬼」が祭神です。大吉備津彦命の御尊父である孝霊天皇を祀る神社の宮司としてお仕えしながら今日まで吉備津神社の艮御崎宮の事を知らなかったのは大変恥ずかしい思いでした。共に主祭神によって退治された鬼を本殿内の東北の隅に祀る事について共通した信仰形態を強く感じました。
吉備津神社さんは艮御崎宮の写真を公開されているようですので当社も倣って写真で公開致します。
6月8日(水)の日供祭に引き続き「産土大神
初春神樂護符」100体の遥拝遷霊祭を執行致しました。かなり気が早い事ですが業者より納品されましたので忘れてしまわない内にと考えました。この神札はお正月早々に兼務社の多里神社と福榮神社にお神樂料(新年の初穂料)をお供え頂いた方々に干支手拭を添えて送付致します。
本来は多里神社・福榮神社の歳旦祭に併せて遷霊祭を仕えするのが本儀ですが当日は時間の関係も有ってご神前に神札をお供えするだけにさせて頂いてます。
本殿御扉の前に鋪設された金幣を通して遥拝遷霊祭を斎行。
6月1日(水)午前6時、月次祭をお仕えして皇室の御安泰と国家鎮護、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧を祈願申し上げました。当社は本日より更衣して夏物の装束を着用致します。
昨日は殿上で着用する狩衣,格衣,差袴等を冬物から夏物に入れ替える作業を致しました。古例に従って5月の立夏より夏装束を着用する神社も多いですが当社は6月1日から夏装束着用10月1日から冬装束着用としています。
写真の手前が夏用の狩衣と格衣、奥が冬用の狩衣と差袴
5月22日(日)山神社の祀り上げ祭をお仕え致しました。いつ頃からお祀りされたのかは定かでは有りませんが昭和34年9月に現存の小社が新築された事はわかっています。歳月の流れと共に社は朽ちかけて今後の小社の維持も困難な為、止む無く元の御座に還御頂く事となりました。当地域ではこうした祭事を祀り上げ(まつりあげ)と称しています。近年、山神様や荒神様などの地域の小社のこうした祀り上げが増えています。朽ち果てた社にご神霊もそのまま放置してしまうよりは良い事なのでしょうが神職としては寂しいかぎりです。
小社は祭壇正面の藪の中のやや高い位置に鎮座されています。
5月14日(土)出雲大社に妻(権禰宜)と参拝致しました。当日は出雲大社の例祭(勅祭)の日です。早くからこの日に狙いを定め、日程を調整して参拝が叶いました。この度のわが社
の春季大祭(例祭)をはじめ兼務社や代行奉仕の各社の祭礼を恙なくお仕え出来ました事と私の神職身分昇級のお礼と奉告をさせて頂きました。
本殿背後の八雲山から雲がもくもくと湧いているようです。 まさに八雲立つ
写真は教統以下祭員が参進する姿ですが宮司(國造)様のお姿が有りませんでした。出雲大社は宮司(國造 こくそう)教統(きょうとう)権宮司(ごんぐうじ)などの要職は千家一族の方々が務めておいでですが勅使(ちょくし)が参向される大切な祭事に國造様のお姿が無いのは少し心配で不安がよぎります。
女子神職を採用された様で前導役を務めていました。
立夏が過ぎた5月7日(土)手水舎に6基のガラス風鈴を飾りました。昨年は6月初旬に3基を飾りましたが今年は3基増やして1ケ月早くお目見えです。初夏の風に揺れて涼やかな鈴の音が拝殿にいても聞こえて参ります。境内の草木が奏でる自然の音色に混じり良い雰囲気になっております。
5月5日(木)印賀樂樂福神社春季大祭を斎行致しました。まさに五月晴れの好天の中、宮司ほか祭員1名樂員1名、総代会長ほか氏子総代13名が参列して厳粛に斎行致しました。石見神社の宮司には樂員を兼ねながら朝日舞の奉納もして頂きました。3月18日から始まった春祭りも全ての奉仕を恙なくお仕えし本務兼務の全ての社で大祭祝詞に続いて神職身分昇級奉告祭祝詞の奏上が出来ました事にも深く感謝しております。天候も3月18日の大呂神社以外は好天と成りました事も有難く存じておる次第でございます。我が日南町は春祭りを終ると同時に初夏らしい気候になって参ります。
4月30日(土)午後6時、本社春季大祭の宵宮祭を斎行して明日の例大祭が恙なく執行出来ますよう祈念致しました。午前中には宮内地区の氏子20名程が出夫して境内清掃や祭礼幟を立てたり各社殿のしめ縄を取替え紙垂を付けたりして頂きました。
5月1日(日)午後1時30分、本社春季大祭(例祭)の大祭典を厳かに執行致しました。当日の早朝(午前3時)に昇殿をして幣殿内・拝殿内の最終的な清掃の後、本社 摂末社 彰徳殿の各神饌を盛付けたり大麻・塩湯や玉串の準備、祭場鋪設などを午前8時頃まで致しました。若い頃は4時30分頃に昇殿して取り掛かっても十分でしたが近頃は手早い作業が 出来なくなりゆっくりと時間を掛けています。(この頃は早起きもあまり苦になりません。笑)
午後1時30分宮司以下祭員4名樂員2名に神社本庁献幣使が参向、総代会長以下氏子総代が参列。実に3年ぶりに当社通常通りの大祭典をお仕え致しました。写真は小職が拝舞(はいむ)をして神職身分昇級をご祭神に感謝して、その意を表してところです。
用語解説 拝舞(はいむ)とは平安時代、宮中で叙位、任官、賜禄の際などに、帝に謝意を表して左右左を行い、喜悦のあまり手の舞、足を踏むところをしらぬ様を表す礼法。
参照 ウキペディア
江尾神社宮司には劔の舞を奉納して頂き武漢由来のコロナ禍鎮静と世界を不安と恐怖に陥れたロシアのウクライナ侵略の早期停戦を願いました。
4月29日(金)福成神社春季大祭の助勤奉仕に伺いました。当日は強い風と雨が吹き付ける生憎の天気となり気温も上がらず大型石油ファンヒーターを稼働させる程の寒い1日でした。大祭典は宮司以下祭員2名樂員2名が奉仕、総代会長以下氏子総代来賓が参列、石見神社宮司による朝日舞の奉納もありました。
4月29日(金)日供祭に併せ「昭和の日」に武蔵野御陵を遥拝して昭和天皇のご聖徳をお偲び致しました。
世情が不安なこの時世にこそ昭和天皇の御製「あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」が心に染み入ります。
4月28日(木)菅澤神社春季大祭を斎行致しました。本日も好天のお祭り日和で総代会長以下総代4名が参列して厳粛にお仕え致しました。
時節を考慮して午前中で拝殿勤番はお開きと成りましたがその間、三々五々氏子の方々がご参拝になり祈願祭も3座執行致しました。
4月25日(月)多里神社春季大祭を斎行致しました。午前中から気温がぐんぐん上がり26℃となる夏日でした。境内は八重桜が満開となっていました。大祭典は宮司ほか祭員1名、樂員1名。総代会長以下役員総代が参列して厳かにお仕え致しました。
去る4月10日付でご紹介したソメイヨシノ系の桜が散りると入れ替わるように八重系の桜が咲き始め今満開を迎えています。
4月23日(土)撮影
八重桜は境内のあちこちに植わっております。あと数日はお樂しみ頂けると思います。
4月23日(土)撮影
4月23日(土)美用神社春季大祭を代行奉仕致しました。好天の中、総代会長ほか神社役員さん達が参列して厳粛に斎行致しました。
4月22日(金)鳥取県護国神社の春季大祭に神社庁理事として参列致しました。好天に恵まれ心地よい浜風を感じながらご英霊を拝しました。
ご祭神 戊辰戦争から大東亜戦争までの英霊23478柱
4月18日(月)大石見神社春季大祭の助勤奉仕に伺いました。宮司以下祭員3名、樂員2名が奉仕、総代会長以下役員総代、氏子、来賓等が参列して執行されました。祭典では江尾神社宮司による剣の舞の奉納が有り一層厳かなお祭りになりました。時節柄、直会は中止となりましたので折詰料理やお神酒壜等を頂いて散会致しました。
4月17日(日)福榮神社春季大祭を宮司ほか助勤神職3名が奉仕、総代会長ほか役員総代や自治会長など来賓が参列して厳粛に斎行致しました。当日は好天に恵まれ平成31年執行以来中止が続いた神幸式もお仕え出来ました。
4月15日(金)根雨神社春季大祭の助勤奉仕に伺いました。宮司以下祭員1名樂員1名が奉仕、総代会長ほか総代3名が参列致しました。式典中、宮司による朝日舞の奉納が有りました。
4月10日(日)早朝の境内の桜です。好天が続き桜の開花が一斉に始まり春らしい爽やかな風が吹いています。
4月11日(月)吉原3社(吉原・西成・袋原)の春季大祭をそれぞれ代行奉仕致しました。霊峰大山の麓に鎮座する各社ですが冬物装束を着用しての奉仕は少し汗ばむ程でした。
4月10日(日)島根県奥出雲町の鬼神神社春季大祭をお仕え致しました。今日も快晴で心地よい気が流れ社殿後方の桜の花が満開の中、総代会長以下6名が参列しました。
4月9日御机神社春季大祭を代行奉仕致しました。今日は初夏のような天候で霊峰大山の麓の本社は清々しい空気が流れていました。
4月8日熊野神社春季大祭を斎行致しました。春らしい好天に恵まれ総代会長以下総代 氏子が参列のもと厳粛にお仕え致しました。
参列者の内2名は横田高校の同級生ですので懐かしく心強い思いでした。
4月3日(第1日曜日)春らしい日和の中、秋原荒神祭を菅澤神社にて斎行致しました。(荒神様は同社の本殿に合祀されています)
5戸の氏子で100本程の大小の荒神幣を神饌と共に本殿の外陣にお供え致しました。祭典後に20本程を氏子は持帰り田畑や小川などの要所に刺し立てます。残りは4月28日の春季大祭まで本殿内に供え置きます。今年も時節柄、祭典後に配られた折詰料理を持ち帰りそれぞれのご自宅で直会をされました。
4月1日(金)午前6時、月次祭を斎行して皇室の御安泰と国家鎮護、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧を祈願致しました。令和4年の新年度が始まり入学や就職、人事異動など新しい環境での生活が始まった方々はもとより今ある立場で励んでおられる皆様が沢山の幸福と良質の経験を被られますよう祈念申し上げます。
今年は3月に入っても寒さが続き、ようやく境内の端奥にある梅花が開き風に乗って梅の香がほんのりと漂い遅い春を樂しんでおります。桜の開花はもう少し先になりそうです。