当社の祭礼行事を中心に日々の出来事などをブログ風にお伝えします。
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6月30日(水)午後6時、夏越の大祓式を執行して令和3年元旦から今日までに知らず知らずに犯した罪穢れを祓い清め併せて未だに終息が叶わない変異を重ねる武漢由来の疫病の退散を願いました。
水無月の夏越の祓いする人は千歳の命、延ぶといふなり 拾遺和歌集 詠み人知らず
おもふこと水無月ねとて麻の葉を切りに切りても祓へつるかな 後拾遺和歌集 和泉式部
阿那清々し 阿那清々し 阿那清々し
6月26日(土)彰徳殿の例祭を斎行致しました。本来の祭礼日は今月の23日なのですが遺族の減少や高齢化により近年は参列者が1名のみとなりました。昨年からは総代会長や役員でもある遺族にご参拝頂けるように日程の調整をさせて頂き本年より当分の間、6月の第4土曜日を中心に祭礼日を毎年選定させて頂く事に成りました。本日は総代会長、役員を兼ねる遺族2名、総代1名のご参列により厳粛に斎行致しました。
6月25日(金)神社庁協議員会に出席しました。時節柄、出席者を神社庁役員、正副議長、支部長ほか各支部1名の協議員に絞っての開催です。今年は通例の協議事項の他、役員改選が日程に有り、庁長には中部の倭文神社 宮司・副庁長は東部の下味野神社 宮司が新たに選任され、私も神社庁理事に選任されました。正副庁長共に一時期は支部長として席を並べた旧知の方々ですし庁長は國學院大學の先輩でも有ります。
6月24日(木)河上地区の愛宕祭を執行致しました。
祭典後の直会も室内を開放し座席も開けて準備されました。既にワクチン接種を終えられた方もあり今後の鎮静化を期待されていました。
6月11日(金)、昨年末の参拝(12月5日)以来半年ぶりに権禰宜である妻と一緒に参拝させて頂きました。令和3年上半期のお導きに感謝し、新年歳旦祭から春季大祭や諸祭事がコロナ禍の中でも滞りなくお仕え出来ました事などを御礼申し上げました。
今回は久しぶりに稲佐の浜の弁天社にお参り致しました。本来は伊勢の二見興玉神社の如く神宮参拝の前に参拝(禊)するのと同じく稲佐の浜で参拝(禊)してから大社参りをするのが本義ですが後になりました。まさに出雲らしい曇り空の中、清々しくお参りさせて頂きました。
梅雨の最中とは言え好天が多く段々と蒸し暑くなって来ました。コロナ禍の活動自粛中であっても三々五々お参りを頂いている方々に少しでもお慰みになればと思い手水舎にガラス風鈴を3基飾ってみました。ひとつひとつの音色が違いますので何とも涼しいハーモニーを奏でてくれますよ。
6月1日(火)午前6時、月次祭を斎行して皇室の御安泰と国家鎮護、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧を祈念致しました。午前5時には準備の為、昇殿致しますが既に境内は明るくなって野鳥のさえずりが耳に心地よいです。当社では今日から衣更えをして白衣 袴 装束の一切を夏用に改めます。
午前8時頃の境内です今日は天気も良く青空も高く緑の木々も一層まぶしく感じられます。
5月25日(火)野田山祭を奉仕致しました。この神社は山の神(大山祇命)と野田山に関わる3名の義民の御霊をお祀りして毎年この日に執行されています。施主の㈱秋田木材、林業関係者など合計7名が参列して厳粛に斎行致しました。
野田山の山中標高550mに鎮座
この度、拝殿内に壁代2帳を新調して鋪設致しました。この6月末で支部長職(3期目)の改選を迎えますので一区切りとなる事、又た妻や娘達もそれぞれに思いが叶ったりしてお見守りを頂いた家族一同の神恩感謝の意を込めております。
これまでは几帳2基によって左右神饌所の棚を遮るのみでしたので祈願祭などの参列者に中の様子が丸見えになっていましたが、壁代の新調により見えなくなりました。
写真は露わなままの西側神饌所
東側神饌所も同様ですので2ケ所とも露わな事が以前からずぅっと気になっていましたがこの度ようやく新調が叶いました。
阿奈清々し
鋪設後、威儀が整った西側神饌所
5月16日(第3日曜日)夜啼き荒神祭を執行致しました。昨年と同様に氏子の参列は見送り、宮司1人奉仕と致しました。
5月13日(木)地元建設会社の㈲大柄組事務所新築工事地鎮祭を奉仕致しました。地鎮祭の執行は本当に久々です。少なくとも1年ぶり以上でしょうか???数年前に同社の社長のご自宅の地鎮祭も奉仕させて頂きました。
幸い好天に恵まれ恙なく執行出来ました。施主である同社には当社の総代会長が重役として勤務されていますので現場の準備も手早く漏れなく整いました。
今年もゴールデンウイークは少し寂しかったですが境内には草花が競う様に咲き揃いました。
先ずは杓(シャク)、カスミソウを思わせるような白い小さな花が茎の先端で分岐して5枚の花弁が沢山咲いています。
深山金鳳花(ミヤマキンポウゲ)、花言葉は富
「山羊の子が、しきりにはねる金ぽうげ」
高濱虚子
踊子草(オドリコソウ)、独特な形の薄紫色の花とシソの様な葉が特徴です。花言葉は快活
「梢から、はやす蛙やをどり花」小林一茶
西洋蒲公英(セイヨウタンポポ)、ヨ―ロッパ原産の帰化植物。花言葉は信念、幸せ、愛の神託。
「今日の道のたんぽぽ咲いた」種田山頭火
垣通し(カキドオシ)、垣根を突き抜けるほど勢いよく成長する事に由来します。
他にも数種の草花がひっそりと咲いています。ご参拝の折にゆっくり散策して見つけて下さい。
但し5月下旬には境内一斉草刈り作業の為、全て刈り取られます。
5月5日(水)印賀の樂樂福神社春季大祭を斎行致しました。3月18日からの宮司(斎主)奉仕12社、助勤2社に及ぶ春季大祭の奉仕を恙なくお仕え出来ました。
宮司ほか祭員1名 樂員1名 総代会長以下11名参列
5月1日は午前3時30分に昇殿して準備に取り掛かりました。午前9時迄には殆どの準備を完了して午後1時30分執行の大祭典に備えました。昨年は式次第を簡略したり祭員を減らしたりしましたが本年は献幣使の参向を取止めた以外は通常通りの祭典執行が叶いましたので大変喜んでいます。
宮司以下祭員4名樂員2名、氏子総代参列
大祭神饌は食味の良い日南産の白米・玄米、大吟醸酒と吟醸酒(各4合)日南産もち米で搗いた丸餅、海魚(焼き鯖)河魚(鰻かば焼き)海菜(昆布と海苔)新鮮野菜、甘く香りの良い果物、桜餅と塩水などを献じ地元料理屋「水川」より真鯛活造り(舟盛)が上がります。
助勤の江美神社宮司には疫病退散の願いを込めた剣の舞を奉納して頂き祭典に華が加わりました。
4月29日(木)日供祭に併せ「昭和の日」武蔵野御陵遥拝式を執行して昭和聖帝の御遺徳を偲びました。
日供祭と武蔵野御陵遥拝式を終えて朝食もそこそこに、本社の祭礼準備の氏子の出夫があり、雨の中でしたが幟立てや注連縄の取替など万端に準備をして頂いたので福成神社の助勤に向かいました。
宮司ほか祭員2名樂員2名、氏子総代参列。
4月28日(水)菅澤神社春季大祭を執行致しました。役員改選があり新たに5名の総代さんが就任されました。(1名都合欠席)時節柄を考慮して大祭典後、午前中で勤番を終了し解散となりました。
4月18日(日)福榮神社春季大祭を斎行致しました。宮司ほか2名の助勤神職が奉仕、総代会長ほか役員・来賓等が参列して厳粛に斎行致しました。不安定な天候の為、神幸式はやむなく中止と成りました。
9日(金)は江府町の御机神社春季大祭。代行奉仕、好天候。
10日(土)は島根県奥出雲町の鬼神神社春季大祭、好天候。
12日(月)は江府町の吉原三社(吉原神社・西成神社・袋原神社)の各社春季大祭、好天候。
11日の日曜日が準備日になり仮授与所に勤番して参拝者の対応などを致しました。
4月4日(第1日曜日)秋原荒神祭を斎行する為、菅澤神社に参向致しました。本神社に合祀された秋原荒神様は地区の氏子7戸で維持されています。生憎の雨天でしたが祭典は殿内で執行致しますので雨に濡れる心配は有りません。
昨年と同様に直会はお神酒を頂くのみにしてお料理は各自持帰る事となりました。祭典の準備が整いましたら皆でコーヒーを1杯頂き体を温め緊張を少しほぐしてから斎行と成りました。
新年度早々に祈願祭の鈴祓いに使用する神樂鈴を新調して頂きました。今まで使用していた神樂鈴が破損した訳では有りませんが長年の歳月で全体的に燻みが出ていましたので「樂樂福大明神様の御神徳に陰りが有ってはならぬ」として神徳宏大・神恩感謝のご奉納を頂きました。誠に有難うございました。
4月1日(木)午前6時、月次祭を斎行して皇室の御安泰と国家鎮護、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧を祈念致しました。昨年、一昨年の4月1日は雪まじりであったり、雨天であったりしてスッキリと新年度が迎えられませんでしたが今年は好天となりました。武漢由来の新型コロナウイルスは未だ鎮静が叶いませんが神仏のご加護を信じて元気に新年度を過ごしましょう。
境内の桜が花を開きました。ほんのしばらく見頃が続くでしょう。