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3月21日(日)福榮神社の氏子の高代地区の荒神社・山神社・愛宕社・地神様の合同祭を地区の公民館を斎場にして執行致しました。本年は武漢由来の新型コロナウイルス感染回避の為、直会はお神酒を頂くのみで折詰料理が参列者に配られて解散となりました。当屋を勤められた方は来年こそは賑やかに直会をしたいと語っておられました。祭典では武漢肺炎ウイルス(新型コロナウイルス)平癒祈願祭も併せて祈念致しました。
3月20日(土)午後6時、春季祖霊祭を家庭の都合により社務所応接室から木山代宮家の御霊舎を遥拝する形式でお仕え致しました。奥津城墓参は午後三時頃に済ませました。宮中では春季皇霊祭を天皇陛下がご親祭になりご歴代の天皇と皇族方の御霊を親しくお慰め遊ばされると漏れ承ります。
3月18日(木)大呂神社春季大祭を斎行致しました。総代会長ほか総代や宮差配など9名が参列して厳粛に斎行致しました。武漢肺炎ウイルス(新型コロナウイルス)平癒も併せて祈念致しました。
3月11日(木)午前6時、神社本庁通達の東日本大震災復興祈願祭を日供祭に併せて執行致しました。凡そ22.000人以上の死者 行方不明者を出す事になった東日本大震災から10年の歳月が流れました。今日は政府主催の追悼式が天皇皇后両陛下をお迎えして国立劇場で催され菅首相ほか各界の代表や遺族などが参列する運びです。地震発生により巨大な津波が浜辺の町々を呑み込み、家屋や車が木端の如く押し流され、人々が逃げ惑う被災地の壊滅的な姿が悲しく思い起こされます。衷心より哀悼の意を表し御霊の安らかならん事を祈念申し上げます。
午後2時46分 黙祷
3月3日(水)神社庁神殿祭に参列の為、出張致しました。午前11時に大祭典執行ですので午前8時30分には社務所を出発しなければなりません。一般神社の例祭に相当する大切な祭祀ですので神社庁長が斎主、同庁主事が副斎主、青年神職3名が祭員をお仕え致します。コロナ禍の中、副庁長、理事、支部長などが神職を代表し、県総代会長、同会理事など、20数名の参列に限定しながらも厳粛に斎行されました。
3月1日(月)午前6時、月次祭を執行して国家鎮護と皇室の御安泰、氏子崇敬者の安寧と発展を祈念致しました。武漢由来の新型コロナウイルスの平癒祈願を毎日執行して1年、我が日南町からは未だに1人も罹患者が出ておりません。大神様の尊い御神威に感謝申し上げると共に1日も速い終息を本日も月次祭に併せて祈念申し上げました。日々現場で全力を尽くしておられる医療従事者や関係諸機関の皆様方に衷心より感謝申し上げます。私共も日々の祈りを怠りなく重ねてお仕え申し上げ、悪疫退散に微力を尽くす所存でございます。
2月23日(火)午前6時、第126代の今上陛下61歳のお誕生日を奉祝して天長祭を斎行し、幾久しいご健勝と聖寿の萬歳を祈念申し上げました。
天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳!
先立っての赤坂御所の記者会見では新型コロナウイルス感染症が終息しない状況を憂慮され「今しばらく、国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながら、コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開ける事を心待ちにしております。」と述べられ、発生から10年の節目となる東日本大震災についても「今思い出しても胸が痛みます」「震災は過去の事ではなく、現在も続いている事として考える必要がある」と語られ被災地に変わる事無く御心を寄せられて行くお考えをお示しになられました。私共も陛下の御心に沿うように日々の祭祀厳修に勤めて参ります。
17日から18日にかけての寒波がようやく去って雪景色の中に春らしい光輝が差し込んでいます。17日より愈々コロナワクチンの先行接種も始まり効果を期待するところで有ります。鎮静化の光明と成ります事を心から祈念致して居ります。
19日(金)午後1時30分 気温7℃
年末から年始に掛けて積った雪も殆ど融けて喜んでいましたが今日(17日)は予報通りの大雪です。午前11時現在で16㎝程は積っています。気温も氷点下2℃です。昨年の今頃は境内の蕗の薹を収穫して日供神饌に御供えも出来ていたのに・・・春はまだまだ遠いです。
2月15日(月)年明け後、初めての神社庁への登庁となる新年合同会議に出席の為、鳥取市へ出張致しました。会議は神社庁長・県神社総代会長・理事・支部長などが出席し令和2年度の神宮大麻頒布実績報告や今後の研修会の実施や年間行事予定について提案協議がなされました。何れも武漢由来の新型コロナウイルスの感染状況を注視しながら前に進む事を確認致しました。
2月11日(木)午前6時、紀元祭(併せて橿原神宮遥拝)を斎行して神武建国2681年の偉業を偲び国家鎮護と皇室のご安泰、国民の安寧と世界の恒久平和を祈念致しました。恒例の日南町統一建国祭は時節柄を考慮して、町内の霞神社において日南町神社総代会の役員のみが参列して厳粛に執行されたとの事です。
今年の建国記念の日は旧暦の12月30日で翌12日(金)は旧暦元旦になります。木山代宮家の恒例行事の日待祭(宵祭り)を午後6時から執行致しました。日待祭は一族や集落内の者が当屋に集合し、物忌や潔斎をしながら夜明かしをして日の出を待ち、季節の変わり目に来臨する神を迎えて祀る信仰です。
我が木山代宮家の日待祭は宵の祭りと翌早朝のまつりと2回の神事を執行致します。
当社の末社である木野山神社の「木野山社疫病防除護符」をご参拝の皆様に無料頒布しています。この神社は岡山県高梁市に本社が鎮座され明治期にコレラが流行した折に邪気退散 疫病防除の神様として近隣各地から参拝者が訪れ、ご分霊も相次いで各地に勧請招致されました。目に見えぬ邪悪な疫病が体内に侵入するのを防ぎ退治して下さる大神様(オオカミ様・狼様)として絶大な信仰を集めました。
今般の武漢由来の新型コロナウイルスの感染拡大を憂いて大神様のご神威を頂く「木野山社疫病防除護符」を奉製し無料で頒布しています。幾ばくでも皆様の心身安寧の支えになります事を期待してご祈念申し上げます。
折りたたんで持物の中に忍ばせたり、ご自宅や事業所などの玄関に貼ってお祀り下さい。
2月1日(月)午前6時、月次祭を斎行して国家鎮護と皇室のご安泰、氏子崇敬者の安寧と発展を祈念致しました。翌日は明治30年以来124年ぶりの2月2日の節分で、2月3日以外の日になるのは昭和59年(2月4日)以来37年ぶりとの事です。その37年前には私が國學院大學を卒業して神職の資格を授与された年で有る事を思い出しました。
2月2日(火)午前6時には節分祭を斎行し国家国民に降りかかる禍事や邪気の退散を祈願致し直近最大の禍事であり災難である武漢由来の新型コロナウイルスの防除鎮静を心にとめてお願い申し上げました。祭典終了後には本殿に向かって「福は内」拝殿正面から境内に向かって「鬼は外」と唱えながら追儺式を致しました。午前6時を少し過ぎた境内はまだ薄暗く雰囲気は有りましたが・・・早朝に済ませてしまうのは我ながら少し違和感を感じます。社務所や自宅の追儺式は夕方執行します。
節分は四季の始まり(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指し江戸時代以降は特に立春の前日を言うようになりました。季節の変わり目に生じやすい邪気や禍事を鬼に見立てて豆を投げる事は穀物に宿る霊力と打ち投げた時の音により邪気を祓い福を招き入れる事を願います。もとは宮中行事の追儺式(鬼やらい)が次第に変化して民間に伝播したと思われます。民間では季節の変わり目に鰯の頭を焼き、柊の葉や山椒の枝と共に串に挟んで玄関口に刺して邪気払いをしていました。
1月31日(日)の8時頃から本社の正月飾りを撤収致しました。例年は11日に撤収するのが例ですが今年は分散参拝でお出でになる方々も有ると思い月末までそのままに致しました。しかしながら年明け早々に1都2府8県に緊急事態宣言が発出された事やGoToトラベルの見直しなどの影響もあってか参拝者も少なくあまり意味が有りませんでした。沢山の残余となった破魔矢も抱えています。残念なお正月でした。
1月30日(土)奥出雲町消防団鳥上分団が新規導入された小型動力ポンプの清祓祈願祭の依頼を頂き出張致しました。
斎場は鳥上コミニテイーセンターの会議室で団長以下10名程のおもだった団員が参列。
暖房も稼働して頂き、快適にお仕え出来ました。
とんどさん以降、雨天が続いたりして積雪も大分に融けておりましたが28日未明から雪が降り出し低気圧の接近もあって本日29日(金)の午後を過ぎると気温がどんどん下がって来ました。今夜は氷点下5度位にはなりそうな予報です。またまた水道管の凍結や破損には用心をしなくてはなりません。
1月16日(土)午前10時30分古神札焚上祭(とんど祭)を執行致しました。武漢由来の新型コロナ禍の渦中でもあり恒例の豚汁などの提供を取り止めましたが、総代会長・総代1名ほか宮内地区の氏子7名に参列して頂きました。
神前での祭事の後、撤下した忌火を総代会長が今年の恵方南南東より火入れを致します。今年は納められた正月飾りやご神札類が思いのほか少なく短時間で燃え尽きて下さいました。
用語解説 とんど祭りは古来より小正月(1月15日)を中心に行われる民俗行事で左義長などと称され、古神札や歳神様を迎えた正月飾りを燃え上がる炎と共にお見送りする神事です。
新年のこの時期、山神様や荒神様のお祭りのご依頼を頂くのですが武漢由来の新型コロナウイルスの罹患者が我が県でも急増しております為に、公民館などで氏子や関係者が揃って賑やかに執行する事を避けて代表者が当社に参向して執行する例になっています。当社本殿の大床に神籬となる御幣を設け祭祀をお仕えする方法です。来年は是非とも皆が揃ってお祭りを執行する事が出来るように祈りながら。
大雪と武漢由来の疫病の為、参拝者は極少人数になりましたが当社は正月の縁起物等の頒布を1月末日までとし正月飾りも31日に撤収する事と致しました。但し古神札焚き上げ祭(とんどさん)は16日(土)に執行致します。当社の正月飾りは後日にお焚き上げする事とします。
1月6日(水)から降り出した雪が今日(10日)も止む事無く降り続き気温も連日の氷点下です。社務所のツララも積雪も年末年始の大雪も含めて1mを超えそうです。1都3県に緊急事態宣言が発令された事もあり参拝者も極少人数です。1日も速く安寧な暮らしを取り戻せるよう懸命に祈念を続けています。
1月4日(月)はやや遠方の兼務5社に参向して初神樂をお仕え致します。元旦を3日も過ぎての祭祀を歳旦祭との呼称は憚りが有りますので初神樂としています。しかし本年は日南町の熊野神社と奥出雲町の大呂神社は余りの積雪の為、社殿にたどり着く事が叶わず遥拝して後日改めて参向する事にしました。初めての経験でした。ただ今週末は再び寒波の予報でかなりの積雪と報じられていますのでいつの事になるかわかりません。
参拝可能な神社でもこの様子です。
明けましておめでとうございます。氏子崇敬者の皆様には恙なく新年をお迎えの事とお慶び申し上げます。令和3年1月1日(金)午前零時の年明けと共に御本社最初の祭典である歳旦祭を斎行致しまして皇室の御安泰と国家鎮護、国民の安寧と発展を祈願し更には武漢由来の新型コロナウイルスの鎮静を願い上げました。
大歳当日の大雪により深夜に亘る総代会長ほか役員総代の参列は急遽取止めて頂く事とし私1人のみにて執行する予定でしたが地元の森林組合の重役をされ当社に所縁深い旧家の当主と令嬢が雪の中、ご参拝下さいましたので是非にとご案内してご参列頂きましたので、大変うれしい新年の幕開けとなりました。
1月2日(土)午前6時、初日供祭を斎行、令和3年最初の日供神饌をお供えして皇室の御安泰と国家鎮護、国家国民の安寧と発展を祈念し重ねて新型コロナウイルス平癒を祈願致しました。大晦日の大雪により道路の交通事情も悪くコロナ禍の中にあっての参拝は少なめです。1日も早く穏やかな暮らしが戻って来ますよう願います。
1月3日(日)午前6時、元始祭(げんしさい)を斎行致しました。元始祭は新暦1月3日に天皇陛下が宮中三殿において「皇位の元始」を祝って御告文を親しく奏し給う祭祀です。全国の主要な神社では宮中に倣い祭祀を執行して皇統の大元始(おおもとはじめ)を言祝ぎ奉ります。
歳旦祭・初日供祭・元始祭は当社では年頭の大切な祭典で例祭(大祭)に準じて本殿の御扉を開扉して執行致します。従って着用する装束も歳旦祭は小衣冠(繁紋冠・赤輪無唐草紋小直衣・単衣・紫差袴)初日供祭と元始祭は小斎服(遠紋冠・白無紋小直衣・白差袴)をそれぞれ着用し皆具に木笏・帖紙・中啓扇を所持します。双方共、衣冠単・斎服に準ずる装束を着用する事としています。5.6年前迄は苦も無く着用して来ましたが近年はややおっくうに感じるようになり狩衣や浄衣に変更したい気持ちが湧き起ってきます。着用方法はさほど変わりがないのに困った事です。
元旦の午前7時には社務所を出発して福榮神社(午前8時)と多里神社(午前9時)に参向して歳旦祭を執行致しました。今年は特に大歳の大雪により両社とも年越しの総代さんの勤番を取止めて頂きました。大変な積雪の中、夜中に出役して頂くのはかなりの危険が伴う事がその理由で有ります。
多分、深夜の参拝は両社とも極少数であろうと推定し縁起物等を日中の三が日同様にセルフサービスでお受け頂けるように配置致しました。