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3月22日(日)福榮神社の氏子の高代地区の荒神様・山神様・愛宕様・地神様の合同祭典を公民館で斎行致しました。武漢肺炎ウイルス(新型コロナウイルス)の平癒祈願祭も併せて執行して氏子の繁栄と安寧を祈りました。
小雨模様の天候でしたが現地の荒神社・山神社・愛宕社・地神様を巡拝後、直会です。オードブルを中心に集落のご婦人方の料理も併せて頂きました。
3月20日(金)午前10時15分、木山代宮家の祖霊祭を斎行して祖先の御霊をお慰め致しました。都合により奥津城参拝(墓参)は明日と致しました。宮中では春季皇霊祭を天皇陛下がご親祭遊ばされ御歴代の天皇と皇族方の御霊を親しくお慰めになられます。
春一番が吹いた暖かい日となった3月18日(水)大呂神社の春季大祭を執行致しました。祭典は総代会長ほか5名の役員総代と宮差配(当番)4名が参列して春季大祭に併せて武漢肺炎ウイルス(新型コロナウイルス)平癒祈願祭も厳粛に斎行致しました。
本日の祭りに間に合う様に拝殿屋根の塗り替え塗装をして頂きました。誠に有難うございました。
東日本大震災発生の日より9年となりました。
武漢肺炎ウイルス(コロナウイルス)の影響で追悼の式や集会が中止となっていますが令和の御代となっても忘れてはならない日でありましょう。当社では日供祭に引き続き大祓詞を奏上してその後の地震や自然災害などで亡くなられた方々の追悼の意味も込めてお仕え致しました。また神社本庁より通達された「新型コロナウイルス感染症流行鎮静祈願祭」も併せて執行致しました。
地震発生 平成23年3月11日 午後2時46分
感染拡大を続ける新型コロナウイルス(私は武漢肺炎ウイルスと称していますが・・・)の平癒を願い毎日の日供祭に併せて平癒祈願祭を執行しています。春日大社など一部の神社では2月の速い段階で平癒祈願をなさっています。この事に関しては神社本庁の通達は現在のところ有りませんが多くの神社が独自に執行されているようです。八百万の神々が力を合わせて平癒の後押しをして下さいますように祈念を続けてまいります。
神火清明・神水清明・神風清明
阿那清々し・阿那清々し・阿那清々し
習近平国家主席の国賓来日延期 ひとまず安堵
3月1日(日)午前7時、月次祭を斎行して皇室のご安泰、国家鎮護と氏子崇敬者の安寧を祈念し武漢肺炎ウイルスの感染や関連する様々な弊害がこれ以上拡散しないように、国民が安心して日々の暮らしを重ねられるようお願い致しました。
例年より半月以上は早く境内の椿が数本花を着けています。先月18日(火)の降雪のせいで、緩んだ蕾(つぼみ)に雪が乗っかり花を傷めた木も有りますが健気に花を咲かせた木も有ります。
花の品種は不明です。
2月28日(金)神社庁の神殿祭に参列致しました。この祭典は一般神社の例祭に相当する神社庁では最も大切なお祭りですので斎主を神社庁長、副斎主を同庁主事、祭員を青年神職3名で厳粛にお仕え致して副庁長ほか役職員、支部長、協議員、県総代会長、同会役員、被表彰者など40名程が参列致しました。
祭典後には神社庁長表彰の表彰式が挙行され功績のあった神職や総代等13名がその栄に浴されました。その後、会場をホテルニューオータニ鳥取に移して直会となりました。
2月26日(水)急遽、支部長である私と支部理事1名が日帰りで伊勢の神宮に出張する事となりました。実は来る3月1日~3日の日程で計画しておりました日野支部の第40回伊勢神宮参拝を武漢肺炎ウイルスの感染回避の為、中止する事となりましたので参拝の際に授与をお願いしておりました干支土鈴(100体)を受取るのが目的です。突然の中止は当然キャンセル料が発生する為、ご参加の皆様にお詫びの品として40回記念の干支手拭と共にお渡ししようと考えました。誠に残念ではありますが致し方ありません。
また内宮様にはお詫びの参拝をさせて頂きました。
今日の日曜日はNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」第6回が放送されますが、それまで特に気にかけてはいなかったのですが当社の摂社、若宮神社の御扉をよく見ると明智桔梗紋が一対彫刻されているのです。 何故に?
ネットで検索した明智桔梗紋がこちらです。この紋は明智氏の本流の土岐氏の紋でもあり源頼朝の御家人となっていた土岐光衝がある戦の場で野に咲いた水色の桔梗の花を兜の前立てに飾って戦ったところ大勝利を得た事から桔梗の花を図案とした家紋を用いるようになったとの事。水色は土岐一門のチームカラーで白地に水色で染付した桔梗紋は戦場ではかなり目立った様です。(ウキペディア参照)
紋を近くで撮影するとこの通り。若宮神社の御扉に何故桔梗紋が飾られているかは今のところ不明です。御祭神やお仕えしてきた社家との関係性もはっきりしません。現在の宮司家(社家)は村上源氏赤松流ですが土岐氏は同じ源氏でも清和源氏頼光流として有名ですし・・・謎は深まります。
2月23日(日)午前7時、第126代の今上陛下60歳の誕生日を奉祝して天長祭を斎行致しました。5月の即位後初めてとなる記者会見では「象徴としての私の道は始まって間もないですが、責務を果たすべく、なお一層努めて参りたい」とご決意を述べられたと伝わっています。私共も陛下の御心に沿うよう日々の祭祀を怠る事無く勤めてまいる所存です。
天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳!
\(^o^)/
多くの神社では祈年祭が執行された17日(月)より降り出した雪が一夜明けると16㎝程になっていました。先日、蕗の薹を収穫して一足早い春の到来を喜んだばかりなのに・・・
本来2月中はこれ位の降雪は想定内ですが今年は何とも悔しい感情が湧きおこって参ります。ただ明日からはまた気温が上がってくる予報ですので、この降雪!なんか要らなくありませんか。
<(`^´)>
ちなみに当社は5月1日の例祭に併せて祈年祭を執行致します。
除雪は明日以降となりますので参拝には長靴等を履いてお参り下さい。
昨年も暖冬でしたが今年は15日(土)に境内に自生する蕗の薹を収穫致しました。例年より4週間以上は早く16日(日)日供神饌の1品として大神様にお供えです。お下がりは大好物のフキノトウ味噌にして頂こうと思います。待ち焦がれている春の苦みで体調を整え3月1日(日)出発の伊勢参宮に備えます。
2月11日(火)午前7時、紀元祭(併せて橿原神宮遥拝)を斎行して神武建国2680年の偉業を偲び国家鎮護と皇室のご安泰、国民の安寧と世界の恒久平和を祈念致しました。この日、天皇陛下におかせられては宮中三殿に出御され臨時のご拝礼をなさり、大祭が執行される橿原神宮には勅使をご差遣なさいます。
午前9時、生山自治会館に於いて「日南町統一建国祭」が斎行され当社の総代会長と総代1名で参列致しました。祭典は神武天皇と町内に鎮座される神々をお招きして執行、日南町神社総代協議会長はじめ町内各神社の総代、日南町長・県会議員・町会議員・神社庁日野支部長・各種団体の代表など50名程が参列して斎主ほか5名の町内の神職が祭員 樂員として厳粛にお仕え致しました。
神事に続く奉祝式典では国歌と紀元節の歌の斉唱のなど開会儀礼の後、主催の日南町神社総代協議会長の挨拶、来賓の祝辞と続き私も神社庁日野支部長として祝辞を述べさせて頂きました。
式典閉会後は地元の生山神社総代会のお世話により料理やお酒が用意され和やかに直会をして「建国記念の日」を祝いました。
昨夕(2月5日)からの降雪により境内は雪景色になってしまいました。積雪は2㎝程で参拝に支障は有りませんが見たくない景色です。午後からは止むとの予報に安堵しています。
2月3日(月)午前7時、節分祭を斎行致しました。孝霊天皇の鬼退治のご事績にあやかり国家・国民に災難や禍事が降りかかる事の無いよう邪気退散を祈念申し上げました。今年こそ境内に積雪は有りませんが雪深い当地では大勢の参拝者を集めての追儺式を執行する神社は有りません。本来、追儺は午後からの行事と思いますが当社は祭典執行後、宮司が本殿に向かって「福は内」拝殿から境内に向かって「鬼は外」と唱えて鬼打ち豆を撒いて追儺を致します。日が暮れると氏子の家々で豆撒きが行われます。
節分は季節の始まり(立春・立夏・立秋・立冬)の前日の事で江戸時代以降は特に立春の前日を言うようになりました。
2月1日(土)午前7時、月次祭を斎行して国家鎮護と皇室のご安泰、氏子崇敬者の安寧と発展を祈念致しました。昨年の2月1日は境内に22㎝の積雪がありましたが今年は旧正月をすぎ立春を目前にして境内に積雪は有りません。58年生きて来てこの様な事は初めての経験です。
写真は月次祭後に撮影した社殿群です。夜半の雪が屋根に薄っすらと乗っています。
1月24日(金)午後7時、木山代宮家日待祭の夜祭を斎行致しました。明日25日(土)は旧正月1日を迎えます。かつて日待祭は同族や同一集団の人々が集まって潔斎物忌をして一夜を明かし季節の変わり目に来臨する神を迎える信仰でありました。翌25日の日供祭終了後午前8時には朝祭を執行します。夜祭には権禰宜である妻と母が参列しますが朝祭は祭典後にそれぞれ見計らって拝礼するのみで参列は致しません。私が奉務する全ての神社の氏子の中では日待祭の依頼は有りませんので唯一木山代宮家のみの神事です。
中啓(ちゅうけい)と呼ばれる扇にはまっています。中啓は室町後期頃から使用されるようになったと言われ、檜扇(ひおうぎ)に次ぐ格の扇として主に衣冠や狩衣などの持ち物として使用されました。現在の神職は衣冠(斎服)でも狩衣(浄衣)でも笏(しゃく
木製の板札状の物)を持ちますが神葬祭の斎主を務める神職が御霊遷しの時に中啓を使用する事があります。私は日供祭等に格衣を着用した時と神仏式の葬儀に白衣差袴に肩衣を着用して参列する場合等に中啓を持つようにしました。格衣のような簡便な装束には笏よりも中啓がしっくりきて気に入っています。有職では笏を持つのは束帯着用時が基本でありました。(但し衣冠を着用した神詣でや神拝の時は笏を持つ例外が有り、神職が衣冠を着用して笏を持つ根拠はこれにあると思います。)また室町頃よりは写真の左端のような扇も盛んに使用された様です。ちなみに女子神職は極彩色の檜扇やぼんぼりと呼ばれる中啓より先端の開き方が少ない扇を持ちます。
1月18日(土)午前10時30分、古神札焚上祭を斎行して正月飾り、旧年中の神札などを焼納致しました。
通常、古神札焚上祭(とんど祭)は古神札や正月飾りを積み上げた斎庭の忌竹の前に祭壇を舗設して執行される事が多いですが豪雪地域にある当社は納められた古神札や破魔矢などの一部を神前に供えて神事を執行、総代会長が神前の神火を奉持して斎庭に進み点火を致します。
拝殿での神事には総代会長ほか総代1名、宮内地区の氏子の方々が昇殿参列され厳粛な祭典に臨まれました。
とんど祭は古来より小正月を中心に行われる民俗行事で左義長とも称され正月飾り古神札と共に、お迎えした歳神様を燃え上がる炎によってお見送りする神事です。
祭典後は総代会長が神火を奉じて斎庭の忌竹に火入れを致します。燃え上がる古神札・正月飾りのほか書初めや採点されたテスト答案等も投入して学業成就も祈ります。今年も地元のご婦人有志によって美味しい豚汁を接待をして頂きました。
1月15日(水)今季初めて境内に雪が積もりました。例年より1ケ月以上遅れています。厳密には12月の後半に雪がチラチラした日は確かに有ったと記憶していますが屋根を白くしたのは今回が初めてです。今後の展開が心配ですが当社にとって雪が少ない事は有りがたい事でこのまま春が来てくれたらと思います。
1月11日(土)私が出張祭に出向いている間に総代会長と総代さん1名によってとんどさんの忌竹を設営して下さいました。斎行は18日(土)の予定ですが早めの設営となりました。当日までに正月飾り、古い神札などをお持ちになれば午前10時30分古神札焚上祭執行の後、焼納致します。氏子以外の方でもお引き受け致します。
写真右下の古びたお社は社殿新築により焼納を依頼された廃社です。
元旦の午前7時30分に社務所を出発して福榮神社と多里神社に参向、それぞれに歳旦祭を致しました。正月三が日の朝夕に両社に参向して朝は殿内の点灯と開運招福破魔矢など授与品の配置、夕はそれの一旦撤収と消灯です。尚、今年は4日5日が土日に重なりますので福榮神社のみ、その作業を5日まで延長する事に致しました。
写真の福榮神社では天皇陛下御即位奉祝事業の1つとして真榊の五色布を新調して頂きました。
正月2日(木)には恒例となっている鳥上小学校卒業生12名(100期)の厄除開運祈願祭を執行致しました。時折、日も差す好天となり小学校を眼下に見下ろす鬼神神社は卒業生の皆さんには思い出深い鎮守の杜です。母校の後輩100期生のご多幸とご活躍を祈念申し上げました。
正月4日(土)は多里神社と福榮神社以外のやや遠方に鎮座する兼務社を巡拝参向致します。正月も4日を過ぎての歳旦祭の名称は憚られますので初神樂祭と称して神樂を奏し祝詞を申し上げ拝礼致します。さすがに早朝からの巡拝は積雪が無いとはいえ寒さが身に応え、ようやく回復しかけた体力を一気に失いそうな感があります。
初神樂
日南町 菅澤神社 印賀樂樂福神社 熊野神社
奥出雲町 鬼神神社 大呂神社
氏子崇敬者の皆様には恙なく庚子歳をお迎えの事と謹んで新年の賀詞を申し上げます。2年ぶりの雪の無い穏やかな新年を迎えた令和2年元旦(水)午前零時、歳旦祭を斎行して聖寿萬歳と皇室のご安泰、国家鎮護と繁栄、国民の安寧を祈願致しました。元旦深夜のお参りは極端に少なくなりましたが午前9時を迎える頃からご参拝の方々が見え始め例年よりやや多めの人出に喜んでおります。
新年最初の祭祀執行にあたり総代会長・責任役員2名・総代2名・神社に所縁のご家族5名が昇殿されました。今年も大神様に至誠ご奉仕頂く誓いを新たにされました。
昨年10月に納品された防寒用のクリア框戸が効果を発揮しヒーター2台と石油ストーブ1台がフル可動した暖かい殿内で祭典が出来ました。
1月2日(木)午前7時、初日供祭を斎行して皇室のご安泰、国家国民の繁栄と安寧、そして本年も全ての祭祀が滞りなく執行出来ますよう祈念致しました。雪の無い正月は交通状況も良好で遠方からのご参拝が増えております。
1月3日(金)午前7時、元始祭(げんしさい)を斎行致しました。元始祭は新暦1月3日に天皇陛下が宮中三殿において「皇位の元始」を祝って御告文を親しく奏し給う祭祀で全国の神社も宮中に倣って皇統の大元始(おおもとはじめ)を言祝ぎ奉るお祭りです。